利根彗星観測所 解体 |
2003年2月8日
利根彗星観測所が解体された。 利根彗星観測所は、1979年9月15日に古山氏と有志の友人達の手により完成し、 その後23年5ヶ月使用。 古山彗星発見など数々の思い出を残し、これが観測所の最後の姿となった。 完成当初の架台は、西村製25cm用架台だったが、1982年に三鷹製GN26−Sに 替える。 捜索カメラは、日本特殊光学製25cmライトシュミット,タカハシ製イプシロン300, ペンタックス製100EDUF,ペンタックス製100SDUF,キャノン製400ミリF2.8FDなど を使用し、古山氏はここで40000コマ以上のパトロール写真を撮影する。 発見前に写していながら、見逃した新彗星は、10個にものぼる。 古山氏いわく、「一番ショックだったのは、1晩に2個の新彗星を写していながら、 2個とも見逃し、その片方があの大彗星である “百武彗星” だったことです。」 もう片方の彗星は、「シェパンスキー彗星」で、両方の露出間隔は30分程。 アマチュア天文家が1夜に2個の彗星を発見したのは、森敬明さんただ1人だけ。 1975J彗星 と1975K彗星を約50分の間隔で発見している。 「その記録を破るチャンスだったのですが・・・」と残念そうだったが、彗星捜索を 続けていれば、またチャンスが来るかも知れない。 Y(^^)Y |
利根彗星観測所 最後の写真 |
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解体が開始される |
進む解体作業 |
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最後に残ったのは、ピラー(赤道儀の土台)のみ |
そのピラーも堀り起こされた |
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ピラーに残された「未来の彗星発見の予言」! 利根彗星観測所を建設する際、赤道儀の土台(ピラー)に
「未来の彗星発見予言」 を記入しておいた この予言は、ほぼ的中し、古山氏は予言より1年早く
1987W2(1987f1:古山彗星)を、岡崎氏は1年遅く
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