エンケ彗星(2P)
この彗星が最初に発見されたのは、1786年1月17.8日(世界時,以下同様)のことで、フランスのピエール・メシャン(Pierre Méchain)によってです。 彼の彗星捜索中、淡く細い尾があり、かなり明るい彗星が望遠鏡の視野を横切ったのです。 みずがめ座方向を捜索していた時のことでした。 しかし、不運にもこの彗星は、太陽方向に移動していたので、翌18日と19日にもこの彗星を見つけることが出来ず、結局1回の観測しか得られず、その軌道を計算することは出来ませんでした。 この彗星は、1月23日に地球に最も接近(0.62AU)して過ぎ去ってしまいました。 2回目の発見は、イギリスの女性天文学者カロライン・ハーシェル( Caroline Herschel )によるもので、1795年11月7.8日に眼視彗星捜索中のことでした。 この発見は、直ちに兄のウイリアム・ハーシェル(William Herschel)によって確認され、彼はこの彗星が肉眼でも見ることが出来る、と述べています。 彗星は11月9日に地球から0.26AUまで接近し、その観測は、彗星が太陽に近くなって観測不能になった11月29日まで続けられました。 3回目の発見は、1805年10月20日フランスのジャン・ルイ・ポン(Jean Louis Pons)によってなされました。 その他にも、21日にドイツのフート(Johann Sigismund Huth ),22日にフランスのブヴァール(Alexis Bouvard)もそれぞれ独立発見しています。 10月23日の観測でフートは、肉眼でも見え、大きさ・明るさ共にアンドロメダ大銀河と似ている、と述べています。11月20日まで観測されましたが、後の計算でこの彗星は、10月16日に地球から0.44AUの至近距離を通過したことがわかっています。 4回目の発見は、1818年11月27.9日のことで、発見者はフランスのジャン・ルイ・ポンです。 この時の印象は、とても淡い、と述べています。 彗星は、1819年1月17日に地球からの最近距離が0.6AUのところを通過したことがわかっています。 当時、上記の4つの彗星は別々の彗星と思われていましたが、1822年にドイツの天文学者ヨハン・フランツ・エンケ (Johann Franz Encke) の軌道計算により、これらの彗星が同一の周期4.15年の彗星であることが確認され、周期彗星であることを見出したエンケの功績により、この彗星をエンケ彗星と呼ぶことになったのです。 周期は3.3年とされています。(2013年現在) 注)エンケ彗星は、特に水星、地球、木星の近くを通る軌道にあり、その摂動により周期が変化します。 |
2013-10-10 古山茂 |
2013-10-13 長谷川久也 |
2013-11-05 古山茂 |
2013-11-13 古山茂 |
2013-11-19 古山茂 |